久々のライブ出演が決まったので、ここ半月、忙しなく準備をしている
(今バタバタのピークなので、落ち着いたらちゃんとお知らせします!)。
その関係で、一昨日、昨日と続けてボーカル録音をしている。
いやぁ、ボーカル録音って本当に難しい!
ちょっとしたニュアンス、音程、発声の違いで、めちゃくちゃ差が出る。
歌っては確認し、向き合う作業。
なんというか、精神が研磨されるようだ。
「これだ!」というテイクの裏には、数え切れないほどの没テイクがある。
わたしは、歌うたびに、自分の体のままならなさと向き合わなければならない。
その代わり、自分の体の思いもしない可能性に気づかせてもらえることもある。
ちょっとしたニュアンスで差が出るというのは、他の楽器も同じだとは思う。
わたしもピアノにフルート、テルミンにちょっとだけギターと、いろんな楽器をやっているからわかる。
でも、なんというか、歌って体の音が直接出るから、コントロールのし辛さを感じることがある。
シンセやDTM上の電子音などはともかく、
歌と同じく、生演奏をする楽器でも、管楽器など楽器を通している時点で、
ある程度パッケージングされた音になるというか。
例えば、サックス奏者のAさんがいるとして、
「Aさんらしい音」というのはあっても、
あくまでそれは「Aさんらしさが出たサックスの音」であって、Aさんの体そのものの音ではない。
Aさんの身体から発せられる運動が、サックスという器を通して振動になり、音となっている。
つまり、Aさんの身体情報はサックスによって翻訳されて出ていると言えるし、
その音はAさんとサックスの共同作業によって生まれたものと言えるだろう。
しかし、歌は直接身体情報が外に出る。
そして、楽器という器がないという意味においては、歌は孤独だ。
ああしかし、だからこそ、
歌はコントロールし難い代わりに、うまく扱えたり、うまくはまれば、
ものすごく一次的に自分の意思を反映し得るし、
楽器よりも自由度が高く、時に思いがけない表現を生み出せるのかもしれない。
パッケージングされていないことは、ある種の余白でもあるのだ。
歌は、楽器と違って口の形などで発音を繊細に変えられるのも大きなポイントだ。
やろうと思えばボイパなんてものもできるし、
多様な言語の多様な発音は、魅力的な音をたくさん生み出す。
言葉を音に乗せられるから、即ち、音に直接意味を乗せることができる。
一番身近で、何気なく使っているものなのに、
磨き甲斐があり、魔法のような可能性を秘めている。
きっとそれが歌なんだと思う。
自分の体そのものの機能だからこそ、うまくいかないとなんだかすごく悔しい。
楽器のように外部要因に依存しないから、楽器のせいなどにはもちろんできない。
まあ、そもそも楽器を演奏するにあたっても、
楽器のせいではなく、奏者の力量が要因であることがほとんどであることは、
器楽もする身としては痛感するところではあるが。
でも、きっと、自分らしい表現ができるようになった時の喜びもひとしおだろう。
だって、それはこの世界で間違いなく唯一無二の表現であり、個性であり、
特に体との関係が難しいわたしにとっては、体との和解を意味するからだ。
…精進します。
ライブ、ぜひ聴きにきてくださいね。

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