心がずっと「なにもしたくない!!!」って叫び続けている。
ずっと心も体も苦しくて、息をするだけで身体中が捕縛されているように重たい。
少しのことで疲れるし、日中も寝込んでしまう時が多い。
何のために生まれたんだろう。
そういう時は、普段胸の奥にしまっているように努めている問いが、
前に出てくる。存在感を増す。
わたしは苦しむために生まれてきたの?
「無理をしない」と言っても、わたしにとっての“無理”の閾値は、
あまりに小さすぎる。
ちょっとしたことでも起きていられなくなるぐらい疲れ切ってしまう。
何してるんだろう、わたしって思う。
今はメンタルの調子が落ちてるからと言い聞かせるけれど、
やっぱり、いまだにわたしにとって、生きることは、
即ち檻に閉じ込められてじわじわと逃れることの叶わない重荷を背負わされているような、
そんな感覚だ。
正直、早く解放されてしまいたい。
こんなことを望んだ記憶は、わたしが所持している限りはない。
わたしだって嫌だよ。生を呪いだと思ってしまうのは。
世の中の大勢の人のように、「生きることは素晴らしい」なんて
ポップソングに感動して涙できたらどれだけ楽だったろうね。
自分の生物としての不完全さに嫌気が差す。
こんな風に生きることに疑問を持ちながら生きるという責め苦を負うのなら、
人間として知性を持って生きる必要はあったのか。
原因不明の病は、病院ではとうの昔に打つ手なしと言われ、
10年飲み続けている薬は、せめてもの現状維持はしてくれるが、
それすら微妙な均衡の上に成り立っていて、
そもそも根本的に解決してくれるわけではない。
西洋医学ではどうにもならなかったからこそ、
古今東西、あらゆるセルフケアを学び、実践してきた。
わたしの体は不思議で、最初は効果があったように思えても、
1週間もすれば何事もなかったかのように、
以前の不調に戻ってしまう。
こんなホメオスタシスいらない。
よく、ものすごく無邪気に
「病院には行きましたか?行った方がいいですよ!」
とか言ってくる人がいるけれど、
そういう人にわたしの現状を説明したら、
ドン引きするのか返信が返ってこないみたいな体験を何度かした。
行ってるに決まってるでしょ。
行った上で解決しなかったから、足掻いているんだ。
人の事情を軽々しく聞いておいて、受け止める覚悟もないのなら、
最初から聞かなければいいのにって思う。
あなたの軽率な好奇心で、傷つく心があるのだと。
でもわたしも、こういう状況にならなければ、
病院に行ってどうにもならない病気があるなんて、知らなかったのかもしれない。
鬱になって最初に行った病院では、いろんな薬を試し、合う薬が少なくて薬害も出て、
最終的に医者に「絶望的ですね」と匙を投げられた。
その次に行った病院は、先生はすごく優しく話を聞いてくれたけど、
不調に対してどんどん薬が増え、薬漬けみたいになり、
わたしはまともな生活が送れなくなっていた。
今行っている病院では、慎重な薬の調整、カウンセリング、
そして自分自身を客観的に見る方法をカウンセリングの中で学ばせてもらい、
本当に改善させてもらったけど、寛解とはとても言えない。
過敏性腸症候群に関しては、この歳で内視鏡検査もしたし、
毎回リュックサック一杯の薬を詳報され、特効薬も限界量まで出されたけど、
わたしの下痢は止まらなかった。
そこの医者に、「君が男だったら、もっと薬出せるんだけどねぇ」
という、とんでもない発言もされた。
その後、消化器専門の大きな病院に行ったけど、
内視鏡検査の末、「うちもできる対処は一緒なので、どうします?」と問われ、
特効薬を限界量飲んでも効かなかったわたしは、
自らの口で「通わないことにします」と言うしかなかった。
鬱も、過敏性腸症候群も、未だに原因不明の疾患だ。
原因不明ということを知らない人も多いのではないのだろうか。
まあ、この2つに限らず、世の中にはびっくりするくらいたくさんの
原因不明の疾患が溢れているのだが。
色んなセルフケアについてバカにする態度も嫌いだ。
自然療法的なケアなどに対して、
「それは非科学的だ!」
って糾弾する態度の人をネットとかで目にするけれど、
その科学が効かないんだわって言いたくなる。
だから効くものを探しているし、自他に特に害がなく効くんならいいと思うし、
大体、科学だって、一つのものの見方でしかないし、
結論を絶対のものと確定できるものではないだろう。
あくまで実験、観測した結果から、このような結論が導けるというものであって。
もちろん、科学も大事だけどね!
別に、わたしは科学を否定したいわけではない。
ただ、どのような道を模索するのも自由だし、
科学でどうにもならなかった人もいるのだと、
いつも科学でどうにかなってきた人は、
頭の片隅に置いておいてもらえると助かるなって思う。
そりゃ、わたしだって、病院行ってサクッと解決するんなら、その方がよかったさ。
だって楽だし早いじゃん。
この苦しみに関して、長引いていいことはないと、心から思う。
ほとほと困り果てたわたしは、
爪にギラギララメのマニキュアを塗って、
自然療法ですらない、自分だけの“セルフケア”をしてなんとか心を保とうとする。
だからって別に心は楽にならない。
消えたい気持ちもなくならない。
でも、少しだけ、ほんの少しだけ、爪先に星の光を感じるだけで、
1秒先を生き延びられる気がする。
そんな気持ちで、目の前に灯る小さな小さな灯りを頼りに、
一歩一歩綱渡りでここまで歩いてきた。
「お!けっこういい感じ!大丈夫そう!」
って思える時間が増えたけど、気づいたらぐらっと足元が揺らいで、
灯りが小さくなる。
今のこの心理状況では、人を癒すために何かに取り組むのもままならないし、
素敵な約束ですらプレッシャーに感じて後悔してしまいそうだ。
だからこそ休む。好きなことをする。
今一番「やりたいこと」をする。
それは、「なにもしたくない」ということかもしれない。
わたしはその願いに降伏するしかないのに、なかなか「すべき」という強迫観念を手放せない。
サレンダーしろ。諦めて従え。
次の瞬間、綱から落下してしまわぬように。

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