【2023年09月11日】雨上がりに輝いた刹那、時間は遠く過ぎていく

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おばあちゃんと伯母のうちを、母と妹と3人で訪れた。

車から降りてすぐ、伯母の家にいるわんちゃんの声が聞こえてくる。

今伯母の家には2匹わんちゃんがいて、今鳴いているのは元気で敏感な男の子の方だ。

わたしたちの来訪をいち早く察知して、喜んでくれているのか、伯母への知らせか、鳴いているのだ。

部屋に入ると、そのわんちゃんが駆け寄ってくる。

それに続いて、優しくおっとりしている女の子の方も顔を見上げながら近寄ってきてくれる。

愛しさが溢れて、喜びが爆発しそうになる。

うれしいから、お礼にたくさん2匹を撫で回す。

2匹ともうっとりして、わたしのマッサージを快く受けてくれるのがありがたい。

その後、最近やってきた黒猫ちゃんにも挨拶しにいく。

この子は野生味が強いので、わんちゃんたちとは別のお部屋にいる。

黒く艶やかな毛並みが美しい、大きな体。

わんちゃんたちよりずっと年下なのに貫禄がすごいから、名前に「さま」をつけて呼びたくなってしまう。

猫というより、黒豹だ。

でも、甘えるのは上手なので、やはりかわいい。

あざとい。

こちらもぽんぽん撫でていたら、膝の上に乗ってきてくれた。

うーん、かわいいな。

でも重たいな(幸せな重み!)。

猫さんもわたしの足に何度も頭をすりすりしてくれたり、体を擦りつけてくれて、体温や毛の感触が伝わるたびにうれしくなる。

動物たちは、愛情の表現がダイレクトでとてもいいなと思う。

人間たちは、人間関係について小難しく考えすぎなんじゃないかな、こんくらいダイレクトに愛情を示してもいいんじゃないかな、なんて思ってしまう。

だから、愛しのアニマルズを見習って、愛を感じる大切な人たちには愛をちゃんと伝えるように心がけている。

だって、うれしいじゃない。

わたしも、きっと相手も。

推しは推せるうちに推せ、じゃないけど、愛は伝えられるうちに伝えておけ、と思う。

まぁ、愛を素直に伝えられなかったり、逆に愛を素直に受け取れない場合もあるけど、ね。

おやつをみんなで楽しんでいたら、にわかに雨が降ってきた。

急いで洗濯物などを取り込む。

最近、スコールみたいな雨が多いね、と話す。

実際、今日の雨も割とすぐに上がってしまって、空には虹がかかっていた。

真ん中は割とくっきりしているけど、始まりと終わりはぼやけてわかんない虹。

雨が上がってしばらくして、おばあちゃんと近くの公園まで散歩に行くことにした。

さっきの雨で濡れた道草が、再び顔を出した夕日にきらきらして、道中「綺麗だね」とおばあちゃんに声をかけながら進む。

おばあちゃんはもう90歳近いのに、足腰しゃきっとして、すとすと歩く。

田舎すぎてしばらく歩道のない道を歩かなければならないので、なるべく走ってくる車からおばあちゃんを庇いながら歩く。

おばあちゃんと歩きながら、いろんな話をぽつりぽつりとした。

野草の話。

食べ物の話。

農業の話。

戦時中の食べ物事情の話。

わたしはここ2年くらい、いろんな野草や雑草を食べてみることを結構やっているんだけど、おばあちゃんの話を聞いていると、戦時中飢えを凌いだ、色々な“食べ物”の姿が見えてきた。

戦時中盛んに育てていたさつまいもはつるまで食べたり、お腹が空いたら誰かの山に入ってヤマモモを子どもたちで採って食べたり。

印象的なのは、今や荒地の雑草として有名な茅の根元の皮を剥き、ほのかな甘みのおやつとして食べていたというエピソードだ。

どれだけ微かな甘みだったろう。

けれど、当時その甘みがどれだけ大事だったろう。

色々思いを馳せながら、歩いていく。

家に帰ってくると、日がだいぶ傾いて、息を呑むほどに美しい庭の姿が映し出されていた。

わたしは、過ぎていくこの一瞬をなんとか焼き付けたくて、一生懸命に写真を撮った。

わたしとおばあちゃんは、あとどれくらい一緒に隣を歩けるのだろう。

今、唯一の祖母と呼べる人(両方の祖父と父方の祖母はもういない)。

そんなことを考えずにはいられないから、一瞬のうちに過ぎ去って、遠くなっていく瞬間瞬間を、愛しんでいる。

暑さはなかなか引かないけれど、日に日に、確実に太陽は早く沈んでいっている。

むじゅん



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