【2024年01月20日】だって、おとなだから。

むじゅんについて

今日の腹痛も酷かった。

たくさん下した。

わたしは、過敏性腸症候群となり、ほぼ毎日ひどくお腹を下している。

ほんと、トータルしたら毎日2時間くらいトイレにいると思う。

あまりに痛いから、今日はトイレの中で急に怒りが湧いてきた。

「痛い!痛すぎる!一度は諦めて大学生活をなんとか送ったけど、思い立ち、色んな療法を試して、遠くの病院にも通って、大量に薬も飲んでみて、苦しいけど大腸カメラもやって、今も低FODMAP食事法をやっていて、それでも!それでも、わたしのお腹は良くなっていない。早いものでもう9年苦しんでいる!時間を無駄にしているのも嫌だし、痛いのも嫌だし、何よりこの身体的な苦痛に人生が振り回されているかつ縛られているのが嫌だー!!!!」

とまぁ、一瞬の間に大体このようなことが頭の中を流れたのだが、具体的にはっきりと浮かんだ言葉はこれである。

「壁を思いっきりぶん殴ってやりたい」

おおお。なんかバイオレンス!

自分でもびっくりしましたよ。

だって、いつもわたしは、攻撃性や暴力性の対象がいつも自分の内に向くから。

だから、その攻撃性みたいなもの(実際は叫びなんだけどね)が自分の外に向くようなワードが出てきたのが、自分でも意外だった。

でもね、やらない。

わたしはやらないよ。

殴らない。

だって、おとなだから。

でも、その代わり、頭の中で、思いっきりぶん殴っている様子を想像する。

「お腹が!いたーい!」

ばーん!!!

ごめんね、壁。

でも、許して。

想像で済ませたから、壁はもちろん、わたしの手も、痛くない。

こういう時こそ、イマジネーションの力が必要である。

そうして一回すっきりしてみると、思い出した。

わたしは毎日トイレで苦しんで、孤独だ。

でも、時間が無駄になるのが嫌だから、そのためにちゃんと行動をしているって。

わたしは、トイレに(もちろん自分所有の)お気に入りの本を持ち込んで、たくさん読んできた。

今日はミシマ社が出している雑誌『ちゃぶ台 2』を読んだ。

本当に毎日苦しい。

でも、苦しんでいる一方で、わたしはトイレの中でたくさん尊敬する人たちの考えに触れ、知識を得て、思索してきた。

音楽や詩のきっかけとなる言葉や旋律が降りてきたこともある。

苦しいのは変わらない。

壁を思いっきり想像の中でぶん殴りたくなる時もある。

こんなに苦しいんだから怒る時もある。

でも、案外自分にも「この時間を無駄にしてやるものか!」という負けん気みたいなものがあると感じられて、少し誇らしくなる。

だって、数年前、恩師の方が「絶対、治るよ」と言ってくれるまで、わたしは「ずっとこの苦しみは続くから、一生付き合っていくしかないんだ」と完全に諦めていたから。

でも、正直、毎日諦めかけている。

半年間通った遠くの病院の医師には、薬が効かなすぎて「君が男だったら、特効薬も最大量出せるんだけどねぇ」と色々な意味で酷いことを言われたし、大腸の内視鏡をやった消化器専門の病院では、「今のところ打てる手がない」と言われた。

この辛い身体の感覚を、早く脱ぎ捨ててしまいたいと、毎日思っている。

でも、わたしは、足掻いている。

それは、周りに大切な人がいるからだ。

死ねない。

それは、周りの人のために。

毎日、痛みのほかに色んな生きづらさを感じているけれど、なんとか一日一日を乗り越えて、明日になっていく。

わからない。割り切れない。色んなことが。

痛い腹を抱えて、過去の傷が癒えない心を抱えて、生きている。

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