わたしは鉱物が好きだ。
ひんやりと美しいそれらは、気の遠くなる様な歳月の結晶としてそこに存在している。
少女趣味や耽美趣味などとも鉱物は相性が良く、わたしも数々の作品をきっかけに、幼い頃から鉱物への興味を育んでいたと思う。
ニッチなまでの鉱物趣味を反映した作品、例えば宮沢賢治の作品、『美少女戦士セーラームーン』、『宝石の国』などは漏れなく好きだし、自身でも宝石のキャラクターを生み出したりしている。
ひやりと硬いその質感は、ドールと共通する点も非常にあるとに思われ、球体関節人形と鉱物を美しく融合されている人形作家の西條冴子さんの作品もとても好きだ。

鉱物を構成している原子だけ見ればそんなに特別なものではなく、なんなら人体にも同じものが含まれていたりするが、自然の妙たる技で魔法がかかり、非常に個性豊かな鉱物として姿を表す。
中には、これが自然に生まれたことが信じがたい様なものもあり、しかしあまりに想像が及ばない様子なため、逆に人工物ではないことを証明している様な不思議な標本もあったりする。

美しさはもちろん、わたしはその存在にとても心を救われている。
わたしは、この世に生まれて以来、この体で感じること(鋭敏さ故の苦悩、違和感、持病による痛み、苦しさなど)、身体を操ることへの苦手意識、いじめによる肉体へのバッシング、ルッキズムなど、三次元、3D、物質としての肉体へのそこはかとない苦手意識や苦しさがあって、生きる上でかなり障害となっていた。
まぁ、今もそれは多かれ少なかれあるのだが、ある日、同じく鉱物を愛するお友達と一緒にミネラルマルシェという鉱物の販売会に初めて行って、そこで出会ったスモーキークォーツ(煙水晶)をお迎えしてから心境の変化があったのだ。

初めて自ら手にしたその水晶は、表面は磨かれていてひんやりつるりとしていて、中には数えきれないくらいの虹の煌めきを内包しているそれは美しい子だった(こんなに素晴らしいのに、販売スペースの机の下の、掘り出し物コーナーの影にあった)。
スモーキークォーツ故の暗めの地色に虹が輝くその様は、まるでわたしが進む暗闇の中に虹のプリズムする光が差したかのようで、わたしは「影の虹」という言葉を思い浮かべた。

こんなに美しいものが、目の前に物質として存在してくれていることが、とてもとてもうれしく思えた。
それは影、暗がりの中にたくさんの虹を抱えていて、それによって逆に闇の美しさもまた引き立てられ、美しい調和を見せていた。
それはわたしにとっては、自身のあり方のお手本のように感じられ、自然と尊敬の念を抱いた。
わたしは、水晶のおかげで、三次元で、触れられる物質としてそこにあることの美しさやよさを思い出した。

最初の衝撃的な煙水晶との出会いから2年。
他にも仲間が増えた。
セレスタイト(天青石)、ラピスラズリ、レインボームーンストーン、パイライト、エンジェルオーラクォーツのクラスター、マニカラン水晶、アイオライト、ローズクォーツ、セレナイト…
みなそれぞれが個性的で、それぞれが美しい。
それは比較できるものではなく、固有の美しさだ。

石を眺めていると落ち着く。
それはきっと、石たちが人間なんか比べ物にならないくらいの悠久の時や過酷な環境を経て今ここにいるからで、なんというか、大局的な視点を持とうと思えるというか、目の前のことにあくせくしていたなと気づけるというか、もうちょっとのんびりいこうかなと思えたりするのだ。
「まぁまぁ、焦らないで。大丈夫。なんとかなるよ」って、人生の大先輩にそっと宥めてもらえる様な。

先述の石好きのお友達のおかげで、いわゆる宝石だとか、鉱物標本としてみんなが思い浮かべる様な派手な石ではない、まぁ言って終えば一見地味な石のよさ、おもしろさ、美しさにも気づけた。
鉱物の世界では、まさしく「みんなちがってみんないい」なのだ。
わたしもどっしり構えていたいな。
今日も石に触れて、眺めて、学ばせてもらっている。

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