【2026年03月09日】美しいもの

Heart

わたしは、美しいものが好きだ。
それは、単なる造形の美しさのことだけを言っているのではなくて、もっと包括的かつ本質的なことを指している。


その人、もの、現象が、純粋に立ち現れている様に美しさを感じ、ひどく惹かれてしまう。


人であれば、その人の本質、魂、経験、何を美しいと感じるかなど、そういったものが感じられた時、その表現されたものが一般的には“美しい”と評価されない様なものであっても、わたしは美しいと感じる。
そして、そういったものを感じられた時、その時、その場所に居合わせた、立ち合ったことに、強烈な感謝と幸福感を抱く。


案外、明確な意図が介入していない場面で美しさが見出されることも多い。
例えば、長い年月の中で何度も何度も手を入れられた家屋などがそうだ。
割りかし無計画に修繕、増築などされたそれは、それでいてひとつの建物、家として成立し、年月が纏わせた風化という化粧も相まって、謎の調和を発生させている。
だから、わたしは散歩などでそういった建物を見ると、少々興奮してしまう。
美しいと、そう思う。


今日、母が手折って、台所のシンクのところに置いてあった花にも偶然の、完璧な美しさを感じた。
あまりに儚く、白く透ける花びら。柔らかな緑の葉。完璧な曲線を描く茎。
まるで天帝への供物の様な神聖さを、わたしはそこに感じた。
まぁ、そんなこと、誰かに言っても引かれるだけなので、口には出さないけれど。


かつて、わたしの鋭敏な感覚は、学校生活の邪魔、妨げでしかなかった。
わたしは常に変わり者で、理解者などいなかった。
わたしは自身の感覚を呪った。何度も、何度も、何度も、自分で。
帰り道、海に沈む夕陽の美しさに涙するわたしは、頭がおかしいんじゃないかと思った。


この鋭敏さにたくさん困ってきたし、傷ついてきた。
けれど、近年ようやく、その鋭敏さにたくさん救われてきたこともわかってきた。
感じることは、感じ”られる”ことでもあったのだ。


現にわたしは、最近持病の過敏性腸症候群の調子がすごく悪く、体で感じることだけだったら、それはもう人生ドロップアウトしてしまいたくて仕方ないくらいなのだが、幸い色々なものを美しく感じたりできるおかげで、そうならずに済んでいる。
感じることは、たくさんわたしに傷をもたらしたけれど、それと同じかそれ以上に震えるほどの喜びをもたらしてくれた。


先月くらいから、すごく久しぶりに創作に熱が入っている。
自分でも思いもしなかった新しい夢が見つかったから(大事な夢なので誰にも言わない)。
それがまるで灯台の様に、北極星の様に、迷子のわたしを導いてくれている。
インスピレーションが溢れて、溢れて、うれしくて仕方がない。


わたしは、美しいものを表したい。
抽象的な様で、実はものすごく確かな指針だ。
自分に嘘をついていないか、自分の感覚に常に問いかける。
わたしの鋭敏な感覚は、優秀な裁定者である。


わたしは奏でる。わたしは描く。わたしは言葉にする。わたしは振る舞う。
自身が信じる、美しさを目指して。
よろこびとともに。

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