はじめに
人類のみなさん、こんばんは。
むじゅんです。
今回は、日本神話から、「天女(アマツヲトメ)」について一緒にお勉強していこうと思います。
世界各国、様々な民族が編み出した神話や神様は、人々がどのようにこの世界を理解し、捉えようとしたかを教えてくれます。
今回も楽しんでお勉強してまいりましょう!
※この記事の中には、筆者の独自解釈によって、各時代・地域のリアルを無視したイラストが含まれています。苦手な方はご注意ください!
プロフィール
名前(総称) | 天女(アマツヲトメ) |
別名 | 天女 |
神格・属性 | 天から降りてきて人間の男と結婚し、子孫の繁栄と作物の豊穣をもたらす女神 |
神話 | 日本神話 |
キーワード | 天女、豊穣女神、子孫繁栄、天人女房、白鳥、羽衣 |
天女ってどんな女神?
”あまつをとめ”と訓読みしていますが、“てんにょ”という音読みの方が馴染みが深いのではないでしょうか。
日本各地に天女についての伝説があり、
『近江国風土記』の滋賀県長浜市余呉湖(昇天型)、『丹後国風土記』の京都府京丹後市峰山町(難題型)、その他、静岡県静岡市清水区三保の松原(昇天型)、千葉県佐倉市(昇天型)、千葉県千葉市(昇天型)、鳥取県東伯郡湯梨浜町羽衣石(昇天型)、大阪府交野市天野川流域、大阪府高石市羽衣、鹿児島県大島郡喜界町などに伝わっているそうです(沖縄県の天女については、今後予定している別の記事で取り扱います)。
天女は人の形をとって男の前に現れるものの、本来は鳥で、特に白鳥とかかわりが深いと言われています。
天女が男との間に子孫を残した場合、天女は子どもたちに深い愛情を抱き、その子孫は鳥の援助を受けて、後に地上の一族の祖などになって繁栄していきます。
アマツヲトメの神話
天女のお話は、日本の昔話の中で「天人女房」と呼ばれる1つのジャンルを築いています。
実は、世界中に似たようなお話がたくさんあって、朝鮮、中国、ベトナム、インドネシア、メラネシアのニュー・ヘブライデス島、モンゴル、シベリア、アイヌの神話、カナダのアルゴンキン族の神話、南米グイアナのアラワーク人の神話などに類似の物語を見出すことができます。
これらは、「羽衣伝説」と呼ばれ、基本的には「羽衣によって天から降りてきた天女」と「その天女を我がものとする男」の2人が登場します。
天女が水浴びなどで地上に降り立ち、その羽衣を地上の人間が盗んで隠し、羽衣を失って飛べなくなった天女は地上に滞在して、様々な豊穣をもたらします。
羽衣がないと飛べなくなるなんて、意外に思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。
天女は女神の中でも俗に近い存在なので、羽衣の力を借りないと、飛ぶことができないのです。
俗に近い女神という意味では、ギリシャ神話のニンフに近いものをわたしは感じます。
ニンフもたくさんいて、人間たちとの恋愛をすることもあったのです。
豊穣の女神である天女の羽衣は、稲倉に隠され、天女は羽衣を盗んだ犯人の男の妻になったり、働かされたりします。
羽衣を盗んでおいて、天女を妻にしたり、利用する人間がいるなんてひどいなと思ってしまいますが、天女によって稲などの作物が託され、農業が広まっていったらしいので、その恩恵を受けている人間のわたしは、あんまり文句も言えませんね。
ただ、例外もあります。
天女が羽衣を盗まれてしまうものの、天女と盗んだ男性が対話を行って羽衣を返還してもらうお話や、羽衣を盗まれた天女を心優しい男性が助け、羽衣を取り返すお話などがあります。
それでは、各地に伝わるお話を見ていってみましょう。
鳥取県の湯梨浜町の場合
ある百姓が、山腹の石の上に置いてある美しく芳しい衣と、そばの水流で水浴びをする美しい女性を見つけた。
「天女に違いない」
そう直感した百姓は、羽衣を盗んでしまった。
天女は羽衣を失ったことで天上に帰ることができず、百姓の妻になった。
数年後、子どもが2人生まれた。
ある日、天女は子どもに羽衣のありかを尋ねた。
すると、子どもは父親の隠していた羽衣を見つけてきて、母親に手渡した。
喜びに溢れた天女は羽衣を身に付け、天上に帰っていった。
母を失った子どもたちは悲しみに暮れ、母が好きだった音楽で母を呼び戻そうと、太鼓と笛を奏でた。
天女が羽衣を置いていた山が羽衣石山、太鼓と笛を演奏した山が打吹山である。
京都府の丹後の比治にある磯砂山の場合
丹後半島の中央に、比治山(磯砂山)という山がある。
山頂の池に、天から8人の天女が舞い降りたのだが、和奈佐という名の老夫婦が現れて、こっそり1人の天女の衣を隠してしまった。
天女たちは天に飛び帰ってしまったが、衣を隠された天女は天に飛び立つことができない。
取り残された天女は、老夫婦の言いなりとなって、夫婦の娘として10年間暮らすこととなる。
天女は一杯飲めばたちまち万病を癒す酒を醸し、機織りも教えて、老夫婦の家は豊かになる。
しかし、老夫婦は「お前は我が子ではない」と、冷たく天女を追放してしまう。
天女は嘆いて比治の里を彷徨うが、船木の里に安住する。
その時に「わが心なぐしく(慰め)なりぬ」と定住したので、「なぐ」からこの地を「奈具」と呼ぶようになった。
そして、この里の人々によって、天女は豊宇賀能売命(トヨウケ。豊受大神。豊かな食物の女神で、伊勢神宮の外宮の祭神である。今後紹介する予定)として奈具社に祀られる。
京都府の丹後の比治にある峰山町鱒留集落の場合
比治山に8人の天女が降りてきて、山の頂にある真奈井の井で水浴びをしていた(上記の磯砂山の場合と同じ)。
すると、三右衛門という猟師が、天女の衣を家に持ち帰ってしまう。
羽衣を返してくれるよう懇願する天女に、三右衛門は「家宝にするのだ」と勝手なことを言って返さない。
天女は仕方なく、三右衛門の妻となり、三人の女の子をもうけた。
天女は蚕を飼うことや機織り、米作りや酒を醸すことを教えてくれたので、村は豊かになって、人々は幸せに暮らしていた。
しかし、ある日羽衣を見つけた天女は、恋しい天に舞い戻った。
悲しむ三右衛門に、「7月7日に会いましょう」と伝えるが、それでも三右衛門は悲しむので、天女は夕顔の種を手渡した。
その種を蒔くと、夕顔の蔓はどんどん伸びて天まで届いた。
三右衛門は、蔓を上って、天井の世界に着いた。
天女は、「せっかく来てくださった。天の川に橋をかけてください」と三右衛門に要請する。
「ただし、その間、私のことを思い出してはいけません。そうでないと、一緒に暮らすことができません」という注釈付きで。
三右衛門は一生懸命に橋を作ったが、完成間近、嬉しいあまりに天女の顔を思い浮かべてしまった。
次の瞬間、天の川は氾濫して、三右衛門は下界に押し流されてしまった。
このお話は、七夕の発祥とされ、天女を嫁にしたと代々語り継がれる、三右衛門の子孫・安達家の家紋は「七夕」、屋号も「たなばた」である。
安達家には、猟師の三右衛門のものかは不明だが、見事な細工の古い矢と矢筒が受け継がれている。
そして、天女が産んだ三姉妹の長女は、谷あいの集落の乙女神社にて祀られている。
静岡県の三保松原の場合
三保に漁師の白龍(白梁とも)という男がいた。
富士を望む美しい浜辺で今日も釣りをしていたところ、得も言われぬ芳香が漂ってきたので、惹かれて行ってみた。
そこには、一本の松に美しい衣が掛かり、ふわりと風に揺れていた。
白龍は、あまりの美しさに驚き、家宝にしようと衣に手をかけた。
すると、「もし、それは私の着物です」と声をかけられた。
木陰には、美しい女が立っていたのだ。
「私は天女。それは羽衣です。あなた方にはご用のないものですので、どうぞ返してください。それがないと天に帰ることができません。」と、女は言った。
白龍は、手の中の衣が羽衣であることを知り驚いたが、悲しむ天女を見て返すことを決めた。
「返します。でも、代わりに天人の舞を舞ってください」という白龍の申し出に、天女は喜んで承知した。
しかし、「羽衣がないと舞うことができません。まずは羽衣を返してください」と言うのである。
白龍は、羽衣を先に返してしまえば天女は舞を舞わずに帰ってしまうのではないかと、天女を疑った。
すると、天女ははっきりとこう答えた。
「疑いや偽りは人間の世界のことで、天上の世界にはございません」と。
すっかり恥ずかしくなった白龍は、天女に羽衣を返した。
天女は優雅に羽衣をまとって、ふわり、ふわりと舞い始めた。
どこからともなく、笛や鼓の音が聞え、良い香りが立ち込める。
白龍が見とれていると、天女は天へと上り、愛鷹山から富士の高嶺に、霞のように消えていった。
滋賀県余呉町の場合①-伊香刀美『帝王編年記』
余呉の湖に、たくさんの天女が飛来し、南の岸辺で水浴びをしていた。
それを見た伊香刀美という男は、天女に恋をしてしまい、白い犬に羽衣を一つ盗ませた。
天女は異変に気付いて天に飛び帰ったが、羽衣を失った天女だけ飛ぶことができない。
天女は伊香刀美の妻となり、4人の子を産んだ。
その4人の子らは、兄の意美志留、弟の那志刀美、姉の伊是理比咩、妹の奈是理比咩で、伊香連(伊香郡を開拓した豪族)の先祖である。
天女は、後に羽衣を見つけ、天に帰った。
妻を失った伊香刀美は、寂しくため息をつき続けたという。
滋賀県余呉町の場合②-七夕伝説『雑話集』
近江国余呉の湖に織女が降りて水浴びをしていると、通りかかった土地の男が、脱いであった天の衣を隠してしまった。
織女は天に帰れなくなり、男の妻となった。
織女は子どもを産んだが、天に帰りたい気持ちは消えることがなく、隠れて泣いていた。
ある日、男が出かけいている時、子どもが父の隠した羽衣を母に渡した。
織女は喜び、天に飛び帰っていった。
「私はこういう身だから簡単には会えないけれど、7月7日にはこの湖で水遊びをしましょう。その日には会えますからね」と、織女は泣きながら子どもたちに約束した。
滋賀県余呉町の場合③-道真誕生伝説『日本地誌体系』
昔、湖辺の村川並に桐畑太夫という漁師がいた。
ある日、芳香に誘われて一本の柳に歩み寄ると、色鮮やかな薄い布がかかっている。
その布を取った太夫が振り返ると、美しい女がおり、
「私は天の者。余呉の美しい湖で年に一度水浴びをしています。どうか羽衣をお返しください」と懇願してきた。
しかし、太夫は羽衣を隠して返さず、天女はあきらめて太夫の妻になった。
天女は天上の世界のことばかり思って涙していたが、やがて玉のような男子を産んだ。
ある日、「おまえの母は天女様 お星の国の天女様 おまえの母の羽衣は 千束千杷の藁の下」と子守が歌っているのを耳にした。
裏庭の藁の下を探すと、歌の通り羽衣があった。
天女は喜び、天上に飛び去って行った。
菅山寺の僧である尊元阿闍梨は、残された子どもを憐み、寺で養育することにした。
その子どもはそれから菅原是善卿の養子となった。
後の菅原道真である。
鹿児島県喜界島の蒲生集落の場合
天女が伊実久集落近くの三原へ降り立った。
そこから志戸桶の村に入り、早町、阿伝を抜けて、蒲生集落に入り、きれいな泉を見つけた。
天女は衣を木にかけ、水浴びをすることにした。
しかし、通りがかりの男・屋樽瀬戸がその衣を発見し、家宝にしようと手に取った。
「もし!」
と声がして、屋樽瀬戸が振り返ると、この世の者とは思えないほどの美しい女がこちらを見つめている。
「それは私の衣です。持って行かないでください」と言うのだ。
女に一目惚れをした屋樽瀬戸は、
「これは私が見つけたものです。返してほしければ、私の妻になってください」
と女に言った。
天女は羽衣がないと天に帰ることができない。
天女は屋樽瀬戸の妻になることにした。
年月が経ち、二人は一男二女の子をもうけた。
不自由なく幸せに暮らしていたが、屋樽瀬戸には一つ不満があった。
毎年麦が熟する季節になると、麦や稲の穂先の棘を嫌がって、妻が天に帰ってしまうのである。
妻が忙しい時期にいなくなってしまい、困った屋樽瀬戸は、羽衣を高倉の稲束の下に隠してしまった。
稲麦の借り入れ時期になっても天に帰れなくなってしまった天女は、そればかりを悲しんで過ごしていた。
ある日、上の子が末の子をおんぶしながら子守唄をうたっている。聞けば、
「アンマーの飛羽や四股御倉の稲の五束六束の下にあんどう」(お母さんの飛羽は四本柱の倉の稲の五束、六束の下にあるよ)
というのである。
天女はすぐに高倉に上がり、羽衣を見つけ、一番下の子を抱いて天へ帰ってしまった。
それきり下の世界に降りることはなかった。
しかし、残した子供を大事に思う天女は、時々団子を作ってはシルドイ(白い鳥)の首にかけて下界へ遣わせた。
その光景を何度も目にした屋樽瀬戸は、シルドイを嫌って殺してしまった。
それ以来、天と地の交流は途切れてしまったという。
北海道の天人峡の場合
天人峡の近くの東川という集落に、弓人という心優しい若者がいた。
ある日、父の命で山に狩の修行に出かけた。
ところが、山賊に襲われ、大切な弓を盗まれてしまったのだ。
失意の弓人は、細い滝のそばに湧く温泉で体を癒すことにした。
元気を取り戻した弓人は、若い娘がすすり泣いていることに気が付く。
寄ると、その娘は天女で、山賊に羽衣を盗まれて天に帰れなくなったのだという。
かわいそうに思った弓人は、羽衣を取り返すことを決意した。
弓人は、山賊の家に近づき、山賊たちの馬に葡萄の蔓で大きな木の幹を巻き付けて、あたかも人が乗っているように見せかけて、馬を山に放したのである。
酒に酔った山賊たちは、誰かに馬を盗まれたと誤解し、慌てて馬を追いかけていった。
弓人はその隙に羽衣を取り返し、天女に手渡した。
感謝した天女は、お礼に美しい羽衣の舞を披露した。
すると、温泉のそばに流れ落ちる細い滝が、羽衣の形をした大きな滝に姿を変えたのだ。
天女は弓人に別れを告げると、天に帰っていった。
天女は、弓人に別れを告げる際、あることを告げていた。
「裏庭にある一本の草を育てますよう」というのだ。
弓人は、天女の言う通り、その草を大切に育てた。
その草は、なんと米の苗だったのである。
その後、弓人は良き妻を迎え、稲と滝による豊かな恵みを受けて幸せに暮らしたという。
天人峡には、天女の舞によって大きな流れをもった「羽衣の滝」、天女が天に帰る前に弓人にお礼を言った「見返り岩」、天女が羽衣を盗られて泣いていた悲しみによって常に濡れている「涙岩」、天に上る天女を彷彿とさせる形の「天津岩」といった、天女の伝説にまつわる自然が残っている。
天女の伝承からわかること
日本各地に伝わっている羽衣伝説の数々を見ていきました。
たくさんありましたね!
おつかれさまです!
それでは、ここからは、天女の伝承からわかることを整理していきましょう。
天女が登場する羽衣伝説は、主に日本全体や朝鮮半島などの地域に伝わる伝承です。
日本は、北は北海道から南は沖縄まで羽衣伝説が分布しています。
羽衣伝説の数は多くても、一定のパターンが存在しています。
[参照:明星大学 人文学部 日本文化学科,2014,「日本とインドネシアの民話—『天女の羽衣・白鳥乙女伝説』—」,https://www.jc.meisei-u.ac.jp/action/course/084.html]
まず、多くに共通しているのが、
①天女が数人で水浴び
↓
②男がその間に羽衣を一枚隠す
↓
③羽衣を隠された天女は天に帰れなくなる
↓
④男と天女は夫婦になる
というものです。
先に前章でご紹介した羽衣伝説も、多くがこのパターンを踏襲していました。
ここからそれぞれの羽衣伝説は分岐していきます。
⑤
⑤-1 天女と男の間に子が生まれ、子が天女に羽衣の隠し場所を教える。
天女は天に帰る
⑤-2 天女は男に大切にされず、天に帰る
⑥
⑥-1 男は天界に帰った妻を探しに行く
⑥-1A 妻に会うことはできたが、連れて帰ることはできない
⑥-2B 妻に会い、難題を解決したりして、夫婦で暮らす
⑥-2 七夕伝説など、関連する伝説の説明がなされる
⑥-3 部族や地域の由来の説明がなされる
また、天女の羽衣が隠される場所は、蔵、おひつ、藁束の中、竈、長持といった穀物の貯蔵場所のほか、畑、花、藪の中といった植物が植わっている場所が挙げられます。
珍しいものでは、大黒柱の中に隠されるというお話もあるそうです。
これらの隠し場所から、天女の豊穣霊、穀霊としての性質が見受けられます。
天女は、白鳥と同一視されているので、羽衣伝説は異類婚姻譚(人間と人間以外のものが婚姻関係を結ぶお話)の一種である白鳥処女説話に分類できます。
白鳥処女説話とは、白鳥が女性、特に処女に化して地上に降り、人間の男性に衣を取られ、結婚するという説話のことです。
この説話では、女性の処女性を白鳥で象徴しています。
アジア地域では、天女のように、鳥が乙女に変身するお話が多いようです。
羽衣を失った天女は地上の人間と同じで飛ぶことができなくなってしまいます。
まさに、天女の羽衣は“羽の衣”であり、羽衣がなければ天女は飛ぶことができないのです。
天女は、羽衣が無いと飛べないだけではなく、高位の女神と違い、超常的な力をあまり持っていません。
地上に訪れるのは、何かの連絡の使いか、水浴びなどの個人的用事です。
下界に水浴びに訪れたばかりに、羽衣を奪われ、運命に翻弄される天女たち。
彼女たちが比較的俗な存在であり、人間に豊穣を与えてくれたことで、わたしは天女に親しみを感じます。
でも、突如として日常生活を絶たれた天女の気持ちを思うと胸が痛んでしまいます。
しかし、天女たちは稲などの作物や良い酒などの恵みを人間に与え、産んだ子どもが人間の一族のはじまりとなったりしました。
規模は小さいかもしれないけれど、創世神話の一つと言えるのかもしれません。
天女と伝統芸能
さて、最後に、天女と関わりの深い日本の伝統芸能について学んでいきましょう。
天女は伝統芸能の題材に好まれてきた女神です。
長唄、筝曲、舞踊、浮世絵、歌舞伎…
様々な技法で天女の羽衣伝説は描かれました。
その中でも天女を扱った代表的な伝統芸能があります。
それは、能です。
謡曲(能の詞章。演劇の台本のようなもの)の「羽衣」では、三保の松原でのとある春の一日のことが描かれます。
天女が発した「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを(地上の人間は嘘をつくが天人はつかない)」という台詞や東遊(あずまあそび)の駿河舞の美しさ。
前章を読んだ方はもうお分かりですね。
これは、静岡県の三保の松原の羽衣伝説。
天女と白龍のお話でしょう。
この魅力は日本国内だけではなく、海外にも伝わりました。
フランスの舞踏家エレーヌ・ジュグラリスは、能楽に傾倒し、そのなかでも「羽衣」をこよなく愛しました。
当時、フランスに日本の大使館や領事館などはありませんでした。
しかし、彼女は独自に能の調査・研究を重ね、自らの追及する「羽衣」を創り上げたのです。
1949年にパリ・ギメ美術館で初演、その後も各地で精力的に上演を続けましたが、1951年、35才という若さでこの世を去りました。
彼女の短い生涯で、三保の松原を訪れることは叶いませんでした。
夫のマルセルは、
「私の魂は日本の三保に愛着している。私を三保に連れていってほしい」
というエレーヌの遺志を果たすため、同年の11月、彼女の遺髪を携え三保を訪れました。
1952年11月、能面を持ったエレーヌが彫られた記念碑が建立され、多くの人が除幕式に参加したほか、羽衣の松を背にして梅若万三郎師一門が「羽衣」を奉納しました。
現在も、毎年10月に三保松原周辺で「羽衣まつり」が開催され、エレーヌ氏の顕彰式、三保羽衣薪能などが行われているそうです。
また、現代において、謡曲「羽衣」は新たな試みによって進化を遂げました。
それは、「伝承の地・月下に舞う〈羽衣〉-新『能』PROJECT-」です。
このプロジェクトは、羽衣伝説の地・静岡県清水の三保松原で、謡曲「羽衣」を月夜に舞う、まさに物語の体現のようなプロジェクト。
演じるのは能楽師・宝生流シテ方佐野登さん。
撮影はビジュアルアーティスト坂本光則さんです。
ぜひこのサイトを見てほしいのですが、実際にこのプロジェクトで映し出された場面の数々は、怪しく触れがたいほどの神々しさに溢れていて、あまりに美しいのです。
(元はリンク先として「Discover Japan」のサイトを貼っていましたが、記事が削除されていたため
やむなく別のサイトのリンクを貼りました)
ため息をつきそうになり、しかしため息をつくことができぬほどの緊張感と色香が、画像から醸し出されています。
わたしはこのプロジェクトに感嘆し、個人的に応援したいと思っています。
遠い昔から、現代人をも魅了し続ける天女たちとその物語。
これからも大切にしていきたいものです。
おわりに
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!
久方ぶりの女神さま紹介、いかがでしたか?
天女という言葉、存在はよく知られていると思いますが、
掘り下げて調べてみると、その奥深さ、天女たちの持つそれぞれのストーリーに引き込まれていきました。
結構かわいそうな目にも遭っている天女たち。
羽衣を盗られた挙句、それを人質に男から結婚を迫られたり、意地悪な爺さん婆さんに良いように使われて捨てられているのですから、悲しい。
そもそも、羽衣がないと飛べないというのも、お話の都合上魅力的な設定ではあるのですが、下級の女神ゆえのなかなかしょっぱい設定でもあります。
でも、羽衣を一度盗られても返してもらえた三保松原の件や、優しい男・弓人がわざわざ天女を助けてくれる北海道の天人峡の件といった例外もあります。
羽衣を返してしまったら、見返りの舞をしないまま天上に帰ってしまうのではないかという白龍の心配に「疑いや偽りは人間の世界のことで、天上の世界にはございません」ときっぱり言い返した天女姐さんはマジかっこいいし、
本当に優しくて勇気もある弓人のイケメンムーブはなんかすごく眩しい。
学んでいくと、たくさん面白いことを知れるものです。
この記事が、あなたの知識欲を刺激し得る記事になっていたら大変嬉しく思います。
次はいつになるかわかりませんが、また次回の女神さま紹介をお楽しみに!
(多分今度は外国の女神さまをご紹介できると思います)
むじゅん
(イラストは全てむじゅんのオリジナルイラストです)
参考文献・WEB
参考文献
松村一男,森雅子,沖田瑞穂編,2015,『世界女神大事典』原書房
参考WEB
アットプレス,2019,「2月14日公開の 『伝承の地・月下に舞う【羽衣】-新【能】PROJECT-』 ドキュメンタリー動画出演した、 能楽師 佐野氏、ビジュアルアーティスト 坂本氏がコメントを提供」,https://news.line.me/detail/oa-rp20153/7f46360fff06 ,2022年12月10日取得
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余呉観光情報,2022,「羽衣伝説と道真伝説」,https://yogokanko.jp/node/60 ,2022年1月14日取得
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