【2025年03月06日】わたしの大好きな女神様

お勉強

わたしの大好きな女神様の一柱が、日本神話のはにやすびめさま(波邇夜須毘売神)。

埴山姫ともいい、土器などを作る粘土の女神様なんだ。

↑好きすぎて絵を描いたよ。


どうしてこんなにはにやすびめさまが好きかというとね、彼女の生まれた時に秘密がある。

日本の大地母神である伊邪那美命は、火の神・迦具土神を産んだ際に女陰に大火傷を負い、苦しみながら死んでいく。

この火傷をして苦しみながら死んでいく際の描写が妙に生々しくて(日本神話ってそういうところの描写が容赦ないのよね。伊邪那美命が黄泉の国で腐っていた時の描写とかさ)、伊邪那美命は色んなものを出しながら死んでいく。

吐瀉物とか、尿とか、色々あったんだけど、なんとはにやすびめさまは、ペアの波邇夜須毘古神(はにやすびこさま)と共に、伊邪那美命の大便から生まれたの。

!!!!!

うんちなのです!!!(うるさい)


これは、個人的な事情によるのだけれど、わたしは長年、過敏性腸症候群という病に苦しんでいて、一日に何度も下痢をしてしまったり、お腹が痛かったり、不快感に襲われているの。

もう、今までの人生のどれだけをトイレの中で過ごしてきたんだろうと、ふと思うよ。

すごく悲しくなったり、虚しくなったり、あまりの痛さに怒りが湧いてきたりもした。


そんなとき、かねてより好きだった女神たちの世界を覗いているうちに、はにやすびめさまと出会ったというわけ。

わたしは感動した。

日本って、八百万の神がいるっていうけれど、うんちからも神様が生まれてくれたんだって。

本当にありがとう!って思った。

大袈裟かもしれないけれど、わたしの人生の多くの時間をこの過敏性腸症候群に捧げてきたものだから、わたしは世界や生きることから見放された気持ちになっていたの。

でも、昔の人々は、うんちにすら尊い神を見出した。

救われた気持ちだったんだ。


まぁ、はにやすびめさまはうんちを司る神というよりは、出自がそうなだけで、土器などを作る粘土の神様なんだけどね。

でも、わたしは密かに、大便関係で苦しんでいるわたしのような存在を守護してくれるように信じている…(Wikipediaによると、一応便所の神様でもあるらしい)。


それにしても、うんちを粘土に関連させた昔の人の想像力の豊かさには感じ入るものがあるよね(はにやすびめさまの存在を信じているけれど、意味や物語を肉付けしていくのは人間だから)。

しかも、その粘土は、伊邪那美命を殺した火を治めたり、火とうまく協働できれば土器を生み出すこともできるという。

すごい…!


まぁね、今でこそ人間のうんちは自然と切り離された存在になってしまっているけれど、かつては大自然のサイクルの一部であり、いつかは土に還っていくものだったわけだからね。

そう思うと、食べたものをまた地球にお返しできるってなんて素敵だったんだろう。

おしっこもだけど、排泄するとは、受けた恵みを、また次なる恵みに返していく行為だったんだよ。

そっか。

わたしはね、以前YouTubeで見かけた動画のサムネイルで見た言葉があって、すごく共感したの。

動画自体は観ていないので間違っていたらごめんなさいなんだけれど、

20年間引きこもりだったけれど、生きることを決意した女性の動画。

動画のタイトルに「ただ排泄しているだけの肉塊だと思っていた」と書いてあって、心身ともに調子が最悪で、ほぼ寝たきりの生活を送っていたかつてのわたしは「わかる…!この気持ち!」と共感したの。

外に出て、“普通に”働くどころか、食べては排泄し、食べては排泄する、何も生産していないという苦しみ。

もちろん、トイレ事情が整備された現代でもそんなこと思う必要はないと今ならわかるけれど、もしかしたら、うんちを自然に返していた頃は、排泄だって立派な生産の行為だったのかもしれないね。

もちろん、微生物や菌類たち、虫たちなどの力があるからではあるけれど、土を生み出す行為。

まるで、出産のように。

命をお返しする行為。

ってことはだよ。

妊娠・出産をすることができない男性であっても、自然に還る形でうんちをすることは、自らの体から“産み出す”体験ができる貴重な機会だったのでは!?

考えすぎか、考えすぎですよね…。

でも、すごく腑に落ちている自分もいるんだよな。


最近本をしっかり読んで勉強しているパーマカルチャーという概念があるのだけれど(すごーくざっくり言うと、持続的な生活を送るための知恵、デザイン、実践のようなもの)、そこで持続的で循環的な畑のやり方として、日本の江戸時代などで行われていた、うんちやおしっこを集めて畑の肥料にするという方法を紹介していた。

江戸の町屋のトイレの中身を集めて、農家が買い、畑に利用して、食べ物を育てる。

そのシステムが確立されていたから、当時世界でも類を見ない人口密度であった江戸という都市はきれいに循環していたんだって。

もちろん、森の中で暮らしていた時代や土地の場合はわざわざそのようにシステム化する必要もなかったのだろうけれど、都市的な生活がより広がった現代だからこそ、学べるところがあるよね。

下水道に関係する道路の陥没事故も大きな話題になったことだし。

本には、現代の生活にも活躍できるコンポストトイレの設計図も本に載っていたよ。

パーマカルチャーの本ではないけれど、わたしが尊敬する早川ユミさんも、コンポストトイレを作って虹色に塗った!と、本にかわいらしい文章と写真を載せていらっしゃった。


なんか、はにやすびめさまのお話をしていたのに、こんなふうに話が展開するなんて、書くまで思いもしなかったよ。

女神様も、自然も、奥深いね。

こういうことを考えていると、世界が広く優しく思えてくる。

いつもありがとうございます。

愛しています。


むじゅん

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