【2026年03月20日】復讐が止まったところに宝生まれる

Heart

最近は幾ばくかマシになったけれど、昨年の秋から冬にかけて、寝つきが悪いわ悪夢を見るわで、すっかり眠るのが怖くなってしまっていた。

眠るのが苦手になっていたと言った方が正しいか。


酷い時は、「どうして人は眠らなければならないの」という精神状態まで追い詰められていてとてもキツかった。

眠りに入りにくい割に、一旦眠ってしまうとロングスリープしてしまっていたし。12時間とか、それ以上の時もあった。

それで昼ごろ起きて、罪悪感を抱く悪循環。

体調もシンプルに悪かったからね…。


まぁ、起きる時間に関しては、わたしの場合季節が非常に関わる要素らしいので、春の今は比較的早寝早起きだが。


今まで、眠るという(とてもとても不思議な)行為に対して受動的だったなと思い至って、夢日記をつけることにした。

漠然と怖いと思っているよりも、文章に起こして正面から見つめようと思ったのだ。

人の不安というのは、頭の中でもやもや燻っている時の方が、まさに煙のように、より歪で巨大な虚像となることを経験からよく知っていたから。


すると、まぁ夢なので要領を得ないものがほとんどだが、登場する場所や人々に傾向があったり、怖い夢だけでなくとても美しい夢を見ていることがわかったりした。

夢というものはすぐに霧散してなんとなくの後味だけを残すだけになってしまいがちなので、起きてすぐに携帯でいいからメモをすることが肝心だ。


夢日記をつけて数日、たまにだが、はっきりと言葉を授かることがあることがわかった。

それはわたしの夢の解釈から得られた言葉ではなく、夢の登場人物が発した言葉でもない。

ただ、純粋なメッセージとして届く言葉。

明らかにわたしの語彙ではない言葉。

誰が授けてくれるのかまではわからないけれど、とてもあたたかな存在からの言葉。

授かった言葉はいくつかあるのだけれど、3月20日に授かった言葉がすごく印象的だった。


わたしはその日、とても苦しいけれど希望のある夢を見ていた。

わたしは通っていた小学校の教室に現在の大人の姿でいた。

同じ教室内にいるのは、かつてわたしをいじめ抜き、不登校にまで追い詰めた同級生だった。

正直、彼女はわたしの心の深いところに傷をつけたトラウマの元凶で、当時から20年近く経つ今も、その影響は無視できないものがあった。

しかし、夢でのわたしと彼女は和解して、協力して何かをしていた。

…夢の中のわたしは赦したのだ。彼女を。


寝起きの頭で夢のことを思い返して、わたしは傷が抉られるような気持ちと、一筋の希望を見たような気持ちの中を反響するように揺れ動き、それはもう複雑な思いを体験した。

「彼女のことを許せるわけない!!!」と叫ぶわたしと、夢で見た光景の認め難いほどの美しさと柔らかさに心が震えたわたしがいた。


メモしている最中、ふいに思い出した。

夢の場面がシャットダウンして目覚める間際、とある言葉を授かったことを。


「復讐が止まったところに宝生まれる」


はっとした。

なんて滋味深い言葉なんだろう。

わたしが直前に見た夢と、そしてなんだか今の世界情勢にも響くようなメッセージ。


わからない、と思った。

彼女をはじめ、わたしに傷をつけた人々を、わたしは許せるだろうか。

年月という薬と、自分自身へ実践してきた地道な癒しによって、少しずつ傷口の膿は引いていき、傷は浅くなってきた。

でも、遡って保育園の年少さんの頃から累積した傷や記憶、世界への不信感、ひとりぼっちだという孤独感は、驚くほどの鮮明さをもって時にわたしを溺れさせる。


でも、以前より、「赦したい」と思うようになった。

いや、正確には、「赦せない!あんなやつら赦したくない!」と思うのをやめたいと思うようになったというか。

だって、そう思っている間は、ずっとわたしの傷は生々しくじゅくじゅくと膿を吐き出し続けてわたしを蝕んでいくだけなのだから。

開放、されたいよ。数えきれない傷ごとわたしを抱きしめて、愛してあげたいよ。

傷だらけで消えてしまいそうだった過去だって、わたしだったんだと言いたいよ。

わたしはいたんだって、ここまで生き抜いてきたんだって、認めてあげたいよ。


起きた過去にタイムリープしてどうこうすることはできないけれど、過去にどう意味付けするかは今のわたしにかかっている。

そして、それはリアルタイムで変えていくことができる。

わたしは、自ら傷を再生するたびに、自分で自分を傷つけ、そして相手に復讐し続けてきたんだ。

もういいんだ、もういいんだよ。

あなたの手は、ずっとナイフを握りめていなくていいんだ。


わたしは試みたい。

相手を赦し、そして自分を赦すことを。

それは時に、火に焼かれるように辛いことだろう。

しかし、肉体への外傷でも、あまりに大きい傷は、焼いて傷を塞いで治療することがあると聞いた。

わたしは試みる。

行きつ戻りつしながら。時に嗚咽を漏らしながら。

そして、自由になりたい。

自由になって、心からわたしを生きたい。

むじゅん
「文化的スローライフ」模索者

自然を愛し、魂を通わせる音楽家。
音楽のほかにも、文章、詩、絵、朗読、映像、そして農業など、様々な表現を試みる。
少しずつ自分で食べ物を作りながら、心と体が弱いわたしたちのための「文化的スローライフ」を模索している。

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