わたし、母、父は、新緑の爽やかな風吹く吉香公園へやって来た。
今日は岩国市に用事があって、そのついでに訪れたのである。
吉香公園。
吉香公園は、山口県岩国市の代表的な観光地、錦帯橋のすぐ側にある公園である。
錦帯橋は、岩国を治めていた吉川家(毛利家に仕える)が建立した橋で、5つのアーチからなる木造の橋。
そのすぐ側には吉香公園という緑豊かな公園があって、わたしも幼い頃からお出かけの際に訪れていた。
広々とした公園の中に佇む古い建物の数々。
その中の一つ、重厚な門を見ると、なんとも可愛らしい形の石を見つけた。
なんか、この石、猫ちゃんみたいじゃない?
いや、絶対猫の形にしようと思ってそうなった石じゃないと思うんだけれど、
一度猫さんの顔に見えてしまったらもうそれにしか見えないのだ。
かわいい。
この石にシャッターを切る人間はどれぐらいいるのだろうとか考えながらシャッターを切る。
誰をも通さないような重厚な門の前に、このゆるい形の石があるもんだから、すごいシュールだ。
猫石(勝手に命名)を一通り堪能した後、ふと顔を上げると、
古風な瓦があった。
なんと、隙間から草が生えている。
たくましき野生の草の生命力。
草というものは意図的にそこに植えられたものではないわけだけれど、だからこそだろうか。
どこか日本庭園の美意識にも通じるような、飾らないまっすぐな美しさがある風景に感じる。
うーん。
渋いねぇ。
偶然の産物に拍手を送りたい。
塀の上には、まだ芽吹いたばかりの美しい新葉がそよいでいて、爽やかである。
塀に映った木の葉の影は、まるで影絵のようにわたしたちを楽しませてくれる。
この公園には、長く生きている大木がたくさんある。
下から見上げると、その圧倒的な包容力に、自然と感謝の気持ちを抱く。
ここにある木は、優しい。
わたしたちを強烈な日差しから守ってくれる木であり、
急な雨の時には雨宿りさせてくれる木である。
この公園は、すぐそばにお山があって、頂上にはお城がある。
城下公園だからか、公園の中にはお城を思わせるような構造のものも多い。
写真の水路もお堀のようで、過去の城下町としての岩国市のイメージが膨らむ。
この池はまさしくお堀といった感じの見た目をしている。
噴水のように水が噴き上げられていて、躑躅が鮮やかに、盛んに咲いている。
お城がある山にはロープウェイが通っていて、頂上まで上がることができるのだけれど、
ここからはそれが良いアングルで見ることができる。
この公園には牡丹園があって、ちょうど季節だから綺麗な牡丹の花が咲き誇っていた。
牡丹の花は一輪一輪が大きくて、本当に華やかだ。
それの花びらは貴婦人の着物の袖のように麗しく、圧倒的に美しい。
白い牡丹の花は涼やかで純粋だ。
花に顔を近づけると、思わず吸い込まれそうになる。
紅い牡丹の花は艶やかだ。
高貴な女官たちの集合のように、その女性美のようなものを見せつけてくる。
この色の紅があったら良いなと、それを麗しい乙女の唇に彩りたいなと、そんなことを考えてしまう。
そんな牡丹なのだけれど…
品種名が可愛くねぇ!!!
とにかく可愛くない。
なんや「島大臣」って!
思わず笑ってしまう。
島大臣以外にも品種名あったのだけれど、可愛くなかった記憶だけある。
でも、やっぱり牡丹は綺麗だなぁ。
この牡丹なんて、まるで仙女がしなやかに立っているみたいじゃない?
色々と牡丹園を楽しんだのでした。
牡丹園を出てしばらく歩くと、旧吉川家岩国事務所なるものを見つけた。
うー。
この和風の家なんだけどちょっぴり西洋のニュアンスが入った外観。
たまんないですねぇ。
壁の水色と、窓ガラスの色がどこかリンクしているようで、たまらなくかわいい。
古い木のドアもすごく素敵で、玄関右側の少し離れっぽい部屋も、好奇心をそそられる。
窓ガラスの格子の奥に、その奥の格子が見える不思議さ、美しさ。
なんだか鏡の世界に迷い込んでしまいそうな、そんな感覚に襲われそうになる。
すぐ近くには、岩国最古のソメイヨシノがあった。
全国でも屈指の古さを誇るそうだ。
幹の色合いは、なかなか言葉で表現し切れるものではないような複雑さをたたえていて、
どこか豊かな土のような、凄まじい物質感と美しい複雑さがある。
説明書きによると、ソメイヨシノという桜は、年月を経ると幹が空洞化してしまうため、
そう長く生きられるわけではないのだという。
でも、この桜は看板の表記から数えると、140年くらい生きていることになる。
それってすごいことだ。
この桜は確かに空洞化しているけれど、葉は青々と茂り、
なんと四月の終わりだというのに花まで咲いていた。
ちなみに、この「岩国最古のソメイヨシノ」、
なんと園内に複数ある。
どういうこと!?
と思ったが、よく考えてみれば
ソメイヨシノはクローンのようにして増やす桜だったと記憶しているので、
複数本同い年の桜があってもおかしくないのかもしれない。
園内を歩いていると、所々小さな庭園が形成されていて、それも楽しい。
池のそばにはたくさん躑躅が咲いていて、もうすぐ五月がくるんだなぁと感じさせる。
躑躅の群れが池の水に反射して、美しさが重ねられていく。
むせ返るようなピンク!
なぜかジューシーと表現したくなってしまう躑躅の花は、どこか蠱惑的だ。
わたし、この建物にすごく萌えました。
なんでこんなに美しいんだろう。かっこいいんだろう。
堂々とした佇まいなんだけど、決して威圧的ではなく、安らげるような空気感。
流石です。
園内には神社もある。
門の屋根がなんとも言えず渋い色をしていて、とても格好がいい。
神社が緑に囲まれているって、いいですよね。
そんな神社を守るのは、無骨な岩の上で身を低くする狛犬である。
ゴツゴツとした台座、威嚇するような狛犬の姿勢が斬新で、後ろ姿を撮影した。
この狛犬は、神社に最も近い狛犬なのだが、もう少し遠いところにもう一対狛犬と獅子がいる。
それがこちら。
か、かわいい!!!!!
なんちゅう愛くるしさだろうか。
「遊んで遊んで!」という彼のセリフが聞こえてきそうではないか。
「ハッハッハッ…」という息遣いまでありありと想像できる。
おいおい、第一関門である外側の狛犬がこれでいいのかと思ってしまうほど、人懐っこい。
この子はきっと人の邪念に触れたことがないのだろうなという、そんな表情をしている。
守りたい、この笑顔。
いや、本来この子たちは守護するためにいる存在なのだけれど! 笑
対の子も対の子でかわいい。
ギザギザノコギリのような歯はどこかマンガチックで、
こちらも威嚇というよりはリラックスして愛嬌がある表情だ。
というか、この子は横から見た時とても個性的な造形をしている。
平たい顔、ギザギザの歯。
わたしはマヤ文明の石碑にこんなのありそうだなと想像してしまった。
多分、中南米の文明の中にこの狛犬がいても、あんまり違和感ないんじゃないかな。
いや、あるかな。
池のそばにある藤の花がすごく綺麗で、そういえば藤棚って久しぶりに見たなと思い出す。
わたしが通っていた幼稚園や学校には、なぜか藤棚が設けられていたものだ。
なんでかはわからないけれど。
教育機関にある藤棚は、グランドの砂で薄汚れている感じがしたものだが、ここの藤棚は優美だ。
花が下に垂れる美しさは枝垂れ桜が証明しているが、藤の花も例に漏れず美しい。
藤色という色名があるように、色がまた素晴らしい。
ふと見上げると、木のギザギザの葉っぱが空を縁取っていて、切り絵のようだった。
曇って曖昧な空も、葉っぱの角に縁取られると、途端に映えてきて、うっとりとする。
こちらは槐の木。
見渡す限りの枝!枝!枝!
旺盛な生の勢いが、わたしの視界に溢れている。
この槐の木はとても古いものなのだけれど、何か理由があって、古い木の上の部分はなくなり、
残った古い幹の部分から、たくさんの新しい枝が出てきたのだそう(理由は忘れた)。
とても長寿で、しかも木の大部分を失ったのにこの生命力!
命の力!
すごいものを見せてもらったなぁと思う。
この新しい枝たちも、いつの日にか太く成長し、下の古い幹と融合して一体になるのだろうか。
植物って本当にすごい。
濃いピンクの躑躅。
以前わたしが徳山で食べた、美味しい美味しいフランボワーズのジェラートの色にそっくりで、
この躑躅を見ると、その味が口の中で再現されます。
白壁の塀に菖蒲。
なんだか日本画のようで、真っ直ぐな美しさがある。
なんて大きな楠だろう。
圧倒的なのに、その佇まいは優しい。
楠に見送られて、わたしたちは楽しい散策を終えて帰路に着いた。
むじゅん
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